米の娘ぶたも"切らない"極厚をお願いする

私の目的はとんかつの枠組みの中で旨い食べ方の探求だ。
栄太豚の切らない極厚は切らない極厚が旨い食べ方の1つであることを示した。
この事実に喜んだが、米の娘ぶたでも試したくなった…
今回は米の娘ぶたの切らない極厚だ。
私はペーパーナプキンを持参して、その時に備える。
店に着くと満席だ。

お気に入りの席に通される。
いつものようにマスターは極厚の肉をカットし、それを私に見せる。
厚い…前回よりも厚く見える…
食べられるのかと不安になる。

マスターと常連さんとの話に加わる。
しばらくするとマスターはカットした肉が常温になった頃を見計らい、衣をつけてフライヤーへ滑らせる。

通常の極厚も肉に熱が通るまで時間はかかる。
気長に待つ。
切らない極厚の揚げ方は他と異なるそうだ。
私の探求に応えていただいたマスターに感謝だ。

そして、マスターは声を張り上げてイッサツアゲできたよーと宣言する。
ぶ厚い辞書1冊になぞらえた"1冊揚げ"ということだw
良いネーミングだと感心するや否や、皿の上に"レンガ"が乗る。
やはり食べられるか不安になる…
マスターと常連さんはそのとんかつの写真を撮るw

持参したペーパーナプキンを数枚取り、とんかつをつかんでかぶりつく。
手前側を持つとその向こう側は脂身だ。
脂身から食べ始める。

ほのかなクリーミーさと脂の甘さは極厚でも活きる。
食べ初めは脂と衣との調和を、その次は脂100%で楽しむ。
贅沢だ。

赤身に移る。
切らない肉は自分が頬張れるだけ頬張れる。
この咀嚼に対する満足感は他にない。

やはり肉と対峙する。
旨さは楽しい雰囲気で食べる場合と精神的にかつ純粋にそれだけを求める場合とで異なる。
切らない極厚は完全に後者だ。

今回も単品を注文した。
食べる前の不安を無駄と感じるほどに切らない極厚は食べやすい。
切らない極厚を完食する。
ここで"食べやすい"に違いがあることに気づく。
通常のとんかつにおいて"食べやすい"は1切れずつ箸で持てて口に入れやすいという意味だが、切らない極厚において"食べやすい"は一心不乱に食べられると言う意味だ。

切らない極厚のとんかつは揚げる技を要求する。
そこはマスターだ。
マスターはギリギリの熱の通りを見定める。
マスターの技の妙はとんかつ栄ちゃんが満席である理由だと再確認する。

今日もごちそうさまでした。
そしてマスターをはじめとする方々に感謝だ。
2018/02/23 22:26
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