東北新幹線に乗ると見えるあの石碑を訪れる

気になっていた石碑を訪れるため、なすのの事前予約をした
今日、その石碑を見に行く…

東京駅22番線のプラットホームに上がる。
前なら発車を待つE4系の車体が存在感を放っていたが、もうその姿はない。
プラットホームから広く見える空に淋しさを感じる…

郡山以遠で新幹線を利用する私にとって初めてのなすの号だ。
なすの253号はE5系U45編成で運転される。
全座席に対する乗車率は2割程度だろうか。
宇都宮以北でなすの号は275km/h程度で走行する。

那須塩原駅で在来線に乗り継ぐ。
下りの列車を待っていると上りに見覚えある列車が来る。
最後尾の車両に残る車両番号の跡はクハ205-108と読める。
京葉線にいたケヨ1編成を基に改造された編成だ。
久しぶりの再会だw
今はクハ205-602を名乗る。
下りも京葉線にいた205系電車で、黒磯駅で乗り継ぐ。
黒磯駅からE531系電車に乗る。
黒磯駅を出るとすぐに川を渡るが、川の上がデッドセクションだ。

白坂駅で降りて、石碑に向かって歩く。
天気は快晴で、気分は爽快だ。
谷間にある田畑に囲まれた道の先に東北新幹線が通る。
那須トンネルと白坂トンネルの間の明かり区間と並行に川が流れる。
黒川という。
そして石碑に着く。
やはり石碑はあのときの災害に関するものだ。 黒川災害復旧助成事業竣工記念の碑
黒川災害復旧助成事業竣工記念
安全で 緑豊かな 川を目指して
栃木県
台風の直接的な雨でなく、台風により活発化した前線による雨らしい。(平成10年台風第4号)
石碑の位置は福島県に入るようだが、災害や復旧の関係性より栃木県と那須町について石碑の背面に記されている。 黒川災害復旧助成事業竣工記念の碑の背面に書かれた災害の概要
平成十年八月二十六日から三十一日にかけて年間降雨量の三分の二にあたる千二百五十四ミリメートルという記録的な集中豪雨が那須町をおそい本町は未曽有の大災害を受けました。
当七曲地区においても黒川の氾濫により、田畑、橋は流失、生地獄となった。
町より避難勧告が出され、矢ノ目坂にある城南学園松風荘に九世帯、四十六人が八月二十八日より一週間に亘りお世話になり避難生活をしいられた。
そのようななか、栃木県及び那須町の御尽力により黒川が整備された。
ここに黒川災害復旧事業竣工記念碑を建立するにあたり後世に七曲地区災害の概要を伝える。
平成十四年三月吉日
七曲地区
新幹線は颯爽と過ぎ去る。 黒川災害復旧助成事業竣工記念の碑から東北新幹線を眺める いつも新幹線から見ていた石碑だが、私は今その石碑から新幹線を見ている。
立場が逆になったことが妙におもしろいw

目的を果たしたが、そのまま帰るのは惜しい。
近くにあると知った矢の目ダムへ向かう。
登り道を進む。
帰りの列車を逃がしたくないので、分かれ道で進む道を慎重に確認するw
東側に見える那須連山は雄大だ。

緩やかな下りの先に何かが煌めく。
水に反射した光だ。
矢の目ダムに着く。

吊り橋を渡り、ダムの西側を南に進む。
高低差があるダムの堰は圧巻だ。

さらに歩き、県道105号線に出る。
そして帰りの電車まで30分の余裕で豊原駅に着く。
白坂駅から石碑とダムを経由して10.7kmを歩いたらしい。
あとは帰るだけだ。
長年の疑問を解決した喜びは大きいw

那須塩原駅でなすの276号に乗る。
ほぼ満席に驚く。
宇都宮駅に近づき、来年から運用されるE131系600番台電車を見る。 東北新幹線からE131系600番台電車と205系600番台を見る 205系電車の廃車は近いのだろう…
2021/11/23 16:32
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