人々に求められているのは鈍感力

私は世俗に対してあまり無関心である。
なぜならば洗練されていないものが多く、私が求める世界ではないからだ。
一方で、世間は何かと炎上と騒がしい。
ある意見ですべての人を満足させることは不可能に近い。

一部の過激な人たちは彼らの気が済むまで相手を叩く。
彼らは叩くことを正義であると勘違いしている。
またその行動は非生産的である。
彼らはよほどやることがないのだろう。
自分の価値を高める行動に忙しければ非生産的な行動に時間を割けない。

数年前に鈍感力を提唱した人がいた。
今こそ人は鈍感力が必要である。
世の中の多くのことは正しいとも誤りとも判断が下せないことが多い。
ならば自分の主義を通すだけだ。

今の世間の状況は人体でいうところのアレルギー症状に似ている。
世間が花粉症を起こしているかようで、何かと過敏に反応する。
花粉症なら体を慣れさせる治療法(舌下免疫療法)がある。
炎上もそしらぬ顔して慣れればよい。
それだけのことである。

鈍感力を鍛えましょう。
2016/04/27 23:56
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